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診断北海道 49号 2023年1月発行

企業再生とコンサルタント

2023年2月1日その他

宮本 大

中小企業診断士 / CMI Office Miyamoto 代表

民間企業にて現場の営業マンから会社の経営まで経験し、国内での経営戦略、マーケティング、営業戦略、経理、物流、人事から会社の再生まで幅広く携わってきました。特に、製造業、流通業でのマーケティングやブランディング、商品開発を得意としています。

はじめに

中小企業診断士の宮本です。

自分が実施した企業再生現場での経験のほか、現在も気を付けようと思っている、当時関わった「がっかりしたコンサルタント」の事例について紹介したいと思います。

売上はイケイケ、利益は?

当時在籍していた会社は、インドネシア資本で世界的にパルプ、エネルギー、金融、食品などグローバル展開している企業の日本法人でした。

その会社は、2006年に日本へ進出、2007年に法人化した家庭用紙パルプ製品(ティシュ、トイレットロール、キッチンペーパー、タオルペーパーなど)の輸入販売会社です。

皆さんご存じの通り、国内には日本製紙㈱(クリネックスなど)、王子製紙(株)(ネピア)、大王製紙(株)(エリエールなど)、カミ商事(株)(エルモア)など、パルプ品においては100年以上も前から大手企業が席巻している市場です。今でこそ輸入品を多くの売り場で見かけますが、国内外の新規参入は過去から続く業界慣習に阻まれる環境にありました。

2007年に外資として業界に参入した後、日本法人の設立者はコピー用紙の輸入販売会社を主管する事となったため、設立2年目からカントリーマネージャー(CM)の座についたA氏が本社からの圧力に圧され、利益度外視の販売戦略で売上高とシェアの拡大を図りました。新天地への投資であり、それはそれで戦略としては正しいのですが、以降6年以上に渡って同じ戦略の繰り返しで赤字が拡大、本社からの有利子負債は増える一方にも関わらず、オーナーが求めるシェアと販売数には及びませんでした。国内金融機関との取引をしないとの本社方針で、私がCMを引き継いだ時には本社からの借入金は約4,000万ドル(当時の為替レート120円ほど)に膨らんでいました。

図1:組織図概略
図2:日本法人の売上高と営業利益の推移(単位:億円)※上記はイメージとして参照ください。

オーナーからの厳命、グローバルCEOが2年で4人交代?!

当時のA氏は、オーナーへのアピールとシェア拡大の起死回生の施策として有名タレントを起用して新商品とTVCMを展開しましたが、新商品は不良品多発で当然シェアも伸びず大失敗、おまけにタレント費用で更に3,600万円もの借金を作る事になってしまいました。流石にちくはぐな戦略を展開する日本の状況にみかねたオーナーが、2016年下期に当時のA氏に対して大幅な収支改善と貸付金の返還を求めました。2年以内に営業利益が黒字化となる収支改善をしないと日本への出資は取り止め、日本から撤退するとの内容でした。(2015年から方針の転換を迫っていたようですが楽な方に流されたと思います)

突然の戦略の大転換を迫られた当時の営業本部長は直ぐに退職、その後で外部から招聘した本部長も半年で退職しました。持ち上がり式で自分が営業本部長に就任しましたが、その間でGCEOも成す術のない日本市場の責任を取らされたのか、はたまた嫌気がさしたのかは分かりませんが、2016年~2017年で香港人→インド人→フィリピン人→イタリア人→インドネシア人(現GCEO)へと、なんと2年間で4か国4人のGCEOが就任と辞任を繰り返す異常事態となりました。

当然、国も考え方も方針も違うGCEOの対応と本社の圧力に迫られ、A氏も退職しました。A氏退職後に、A氏による本社報告は5年間に渡り月次や決算の数値と実際の数値が違うなどの粉飾が発覚、尚且つ私用や家族旅行、子供の受験の飛行機代、個人車両の購入などを会社の経費にしていた事が判明しました。A氏が退職する時にGCEOから「宮本さん、日本を頼むよ。」との事でCMに就任しましたが、中身はヒドイ状況でした。

業界の慣習、常識をひっくり返す

以前に勤務していた大王製紙(株)時代に、業界の古い慣習は嫌と言うほど経験しており、当時の大王製紙㈱も業界の異端児として慣習に捉われない政策を打ち出す会社でした。同社での経験もあり、「いい機会だから業界の古い慣習もぶち壊そう。」と考え、当時は代理店や販売店にたっぷりとリベート&販促協賛で金漬けにして、チラシ目玉と山積みでの最安値で販売数量を稼ぐビジネスモデルを変えようと考えました。

先ずはブランドの位置づけを変える必要があったため、市場に無い大容量ティシュや手のひらサイズのティシュなど収益性の高い数SKU(今は大手も模倣している)を開発し上市するとともに、過去に業界ではなかった30%ほどの出荷価格の値上げを敢行、併せて不採算商品の廃番(64SKUを12SKUに削減)と品質向上・規格見直しでのリニューアル、リベートの撤廃と個別契約の解除、代理店取引制度の大幅見直し、物流条件の改定、納品リードタイムの変更、営業倉庫の集約化、物流業者の見直し、長期滞留品の処分などなど思いつく収支改善策を8か月ほどかけて“通知して実行”しました。しかし、これには取引していた大手卸、大手販売店の経営層からは、「お前は業界を壊すのか?」「値上げなんてさせない!」「立場を知れ!」「日本から撤退してしまえ!」「迷惑をかけるな!」と大反発を食らいました。経営層以下の商品部長やバイヤーからは「リベート撤廃?どうなるか分かってるよね?」「自宅は札幌だっけ?家に行かんとならんね。」「1人の時は気を付けてね♡」「子供は東京にいるよね?」(なぜ知ってる?)その他無言電話などなど、大層な“励ましの言葉”を貰いました。日経や業界誌には連日のごとく記事が掲載され、取材を受けてもこちらの本意は書かれず大手寄りの記事内容で、四面楚歌とはこういうものかと実感しました。また、この施策は当時で話題となり、WBSやニュースでも取り上げられました。

ただ、この下位メーカーである当時の会社での値上げ敢行により、店頭での販売品構成が著しく変わりました。これを契機として、大手各社が次々と当社に追随して値上げを行いました。マーケティングの常識に反する展開で痛快でした。折しも王子製紙(株)の工場火災も重なり、ティシュ、トイレットペーパーの店頭販売価格が10%以上あがり、結果として各パルプメーカーや古紙メーカーまで業界全体での収益改善につながった事例でもあります。

ここでは主に社外的な改革の話となりますが、社内においてもインフラや情報システム関連、出荷・販売・利益管理、物流システム、HRでの人事関連、ファイナンスでの管理内容などの改善も実施しました。大きく設備投資するお金はなく懐に余裕がない状況でも、現場の改善に必要なお金は使うべきだと思いました。

毎日のトップ面談、社内を味方にする

売上がゼロになるのは困る、社員の雇用も維持して毎月の給料を支払わないとならない、協力してくれている物流・倉庫会社にも迷惑はかけられないとの思いから、とにかく取引先に理解を得ようと連日で大手卸や大手販売店の社長や部門統括役員に面談を申込み、交渉と売り方の提案を重ねました。途中経過は端折りますが、大手卸と大手販売店のそれぞれ数社の社長には理解をいただき、また中小の卸や販売店を味方に付ける形に持って行ったところ、売上高はほぼ半減しましたが収支は大幅に改善することができました。

改革をスタートした時の社内は「会社がなくなる、どうなるの?」「いつリストラされるのか。」「あいつ(宮本)に任せていいのか?」などの疑心暗鬼からギスギスした雰囲気で退職者も徐々に増え、誰も本音を言わなく、自分には相談者がいない状況でした。これはマズイと思い、当時の各部長を始め東西の両マネージャーなどと随時のミーティングや連日の飲み会で自身の考え方や進め方、将来的な会社像を説明し、ようやく理解を得られました。これを始めとして、定期的に全社員を集めて説明した方が良いとの意見もあったため、毎週金曜の17時から進捗や外部環境、売上と利益などの説明を定期化しました。

また、経費としてはキツかったですが、デリバリーで会社での食事会兼飲み会を行い、社員とのコミュニケーションを図りました。また人前で言いにくいことを投函する意見箱を設けて1人ずつ丁寧に対応したところ、ようやく社員からも「頑張って会社を残してください。」などの声が聞けるようになりました。当時のイタリア人のGCEOもよく相談に乗ってくれてほぼ毎日メールやTV会議などで議論して知恵を貰いました。

もっと早く社内を味方につけるべきだったと痛感し、更なる力が湧いて来たのを良く覚えています。

結果として、2年間で会社の膿を全て出し切ってキレイにしたこと、満足できる黒字ではないが収支を大幅に改善できたこと、理解してくれる取引先を得られた事から、日本からの撤退は無くなり現在も会社は存続しています。

コンサルタント登場、でも何か違うぞ

CMになってから、あらゆる方面からコンサルタントの紹介を受け面談しました。

契約関連や法制度、人事関連に関しては顧問弁護士や社労士に相談していましたが、経営改善となると自身や社内では解決できないことも多いため、紹介してくれるコンサルにはすべて会いました。その中で、いま考えると反面教師だなと思う方々をご紹介します。

登場したコンサルは、(1)中堅~大手企業を相手にしている見積書から始まる国内コンサル会社、(2)決して表には出ないが紙業界で有名な経営コンサル、(3)あらゆる業界でとにかく人脈が広いとの紹介を受けた声も態度もでかい経営コンサル、(4)システム導入の話しかしない人事面からの経営改善コンサル、(5)本社の顔色重視の経営コンサル、極めつけは本社が送り込んできた(6)大手外資系コンサルタントファームでした。

それぞれに枕詞を付けていますが、(1)は、ヒアリングや私からの詳細説明の前にプロジェクト型の提案から始まり見積書を提示され、一番高額なメニューを提案されました。説明した課題は掘り下げて聞いてくることはなく、自社の定型の説明に終わりました。

(2)は、紙業界の方から紹介を受けましたが、話す内容はご自身の活動や業界動向、大手メーカーを主体とした話がメインで、当方の立場に立った内容や姿勢でないため話がかみ合いませんでした。

(3)は、挨拶した瞬間から一方的にしゃべりまくる、しかも声がでかい、うるさい、椅子にふんぞり返って話を始めました。曰く、「メーカーの○○社長や卸の●●社長は昔から仲が良い。」「某大手ドラッグストアの○○社長は飲み友だちだ。」「今週も◎◎社長とゴルフに行く。」・・・「だから何ですか?うちには関係ない。」と話した途端に機嫌が悪くなり、「宮本さんは業界を荒らさず自分の立場をわきまえた方が良い。」などと宣う始末で早々に帰ってもらいました。後日、某ドラッグストアの社長と面談した際に私との面談内容を話したようで、守秘義務はないんか?と思ったものです。

(4)は、「人事面からの経営改善が重要です。」に始まり、当方の組織や人員体制を聞いたところで(経営課題のヒアリングは薄かった)、自社のシステムの説明が始まったためお引き取り頂きました。

(5)は、オーナーを良く知るコンサルであり、自身が実施したコンサル事例が掲載された業界誌などを見せる方で、とにかく自分の提案していることを採用して欲しく、どうしたらその提案が実行出来るのかにこだわり、その提案ありきで進めようとする方でした。理由を聞くと、「オーナーに会ったときに提案した内容を伝える。」また「事例として業界誌に紹介したい。」との事で、こちらを見ていないのが明らかだったため、当然その提案は採用することなく1回の面談で終わりました。

(6)は、オーナーが送り込んできたもので、3人体制で約1ヶ月間会議室を専有しておりました。当初の2週間ほどは連日で私や各部長、マネージャーへのヒアリングが実施されましたが、その3名は紙の業界を知らなかったため、業界の成り立ちから市場動向、メーカー動向や市場環境、商品の棲み分け、ブランドの違い、消費者動向、自社の立ち位置まで説明しましたが、その時点で私は「この人たちは大丈夫なのか?」と思ってしまいました。その上で、「なぜそのような市場なのか。」「価格以外での購買要因は何か。」「いち家庭ではどのくらい紙を使用するのか。」仕舞には、「その知識は業界では一般的なものなのか。」などヒアリングは初歩的な事ばかりで、“少しは予習して調べて来ないとダメでしょ、大丈夫なのか?”と言って先方の役割を説明したところ「クライアントは貴方ではない。」とのこと、それから一切の情報開示は止めました。このヒアリングに3日間近く取られたことを覚えています。しかも何故か事務的で上から目線の物言いで、フレームワークに当て嵌めた、見やすいが定型的で実行性が乏しく具体性のない施策進行形で実施している施策を、さも自分たちが提案して新しいものを作ったかのように見せるシミュレーションの内容が薄いなど、コンサル経験はあっても不勉強のなさが生み出す現実とはかけ離れた内容であり、本当にあの有名なコンサルタントファームだったのかと今でも疑うばかりです。

出来上がった英語の報告書はレポート150枚ほどとパワポで100枚ほどありました。

コンサル費用は本社持ちかと思いきや、日本に約3,000万円もの費用を振られ、実務上で役に立たないコンサル結果と相まってがっくり来たのを覚えています。

(1)~(6)まで悪いと思った事例をご紹介しました。

企業再生においてコンサルを受けた側の経験から、現在は下線部分に充分気を付けて活動するよう気を付けています。

診断北海道 49号 2023年1月発行